節目にあたり(父親の他界とLiB創業5周年)
気づいたら1年半もブログを放置していて
自分でもビックリしました。。
そして1年半ぶりに書く記事が、
この内容という事に、自分が一番驚いています。
会社の役員&社員や、
近しい人たちだけにはご報告していたのですが
先日の2019年2月13日に、
最愛の父親が容態急変し他界しました。
享年64歳という、
本当に早いタイミングでの出来事でした。
命日から四十九日が経つ今日、偶然にも
僕が創業したLiBも、起業した日から5周年を迎えます。
こうした節目のタイミングで
主に、自分の心の整理と、
闘病を支え応援してもらった方々への報告、
そして、これから見守ってくれるであろう親父に向けて
書きたいと思います。
※極々プライベートな内容となります
父親は2年前からガンを患っていました。
当初は胃がんのみの発覚で、
すぐに胃の3/4を摘出したのですが
その後に肝臓への転移が見つかり、
ステージ4と診断されたの中、
それでも前向きに闘病を続けてきました。
そして、先日ノーベル賞も獲った
奇跡の治療薬オプジーボの効果もあって、
治療自体は順調に進んでいた中、
突然の急死に、
家族一同、現実を受け止めるに時間が必要で、
何より、一番驚いていたのは
その週末にも友人とのドライブの予定を入れていた
親父本人だった思います。
後になって原因がわかったのですが
死因はオプジーボが非常に稀に引き起こす
副作用とのことでした。
0.4%の発生率で糖尿病を誘発するらしく、
その発生も「経過性、急性、劇性」とあり、
劇性だと3−4日程度で死に至るほど
急激な糖尿病を引き起こす、と。
父親はまさにこの劇性糖尿病を誘発してしまい、
3日前までは元気に治療が進んでいた中、
驚くほど、一瞬で他界してしまいました。
人に迷惑をかけるのを嫌がり、
カッコつけだった親父らしく、
まさにピンピンコロリという表現の通り、
介護や看病などで、
長期に誰かの負担になる事なく
あっという間の出来事で、
母も僕たち兄弟家族も、
この現実を、未だに上手に受け止めきれていません。
が、四十九日という法要は良くできていて、
残された家族が、現実と向き合い、前を向こうと
心を整理するに良いきっかけを与えてくれます。
僕も親父の命日からちょうど49日が経つこの日に
ここに想いを言葉に残して、前を向こうと思います。
僕は男だらけの3人兄弟で
真ん中で生まれた次男なのですが
僕の家族は、
僕が8才のタイミングで両親の離婚を経験し、
一度、家族の形が崩れています。
うちの離婚が珍しかったのは
子供3人全てを、父親が引き取った事だと思います。
僕が8歳、その時の親父は33歳でした。
親父は33歳でコブ3つを抱えるシングルパパになりました。
そして、そのタイミングで生まれ育った石川県から
親父の実家がある埼玉県に引越しをして、
祖父母、父親、3兄弟の生活がスタートしました。
33歳のバツイチ男性が、
コブを3つ抱えて生活をリスタートする姿は、
北の国からの吾郎さんのようで、
きっと大変だったと思います。
一方で、僕たち子供も大変でした。
幼かったので、特に大人の事情は説明されず、
首根っこを掴まれるように、
突然に引越し→転校をさせられ、
気づいたら、母親がいない生活がスタートしました。
3人兄弟の中でも、特に母親っ子だった僕は
突然、前触れもなく奪われた母親の影を求めて
連日連夜、メソメソと泣いていたのを覚えています。
でも、親父は圧倒的な愛情で
僕たち3人を育ててくれました。
親父は一度もサラリーマンをしたことがない
生粋の商売人/職人気質の人だったので、
世の中の常識とはだいぶかけ離れた人でした。
そのゆえ、至る所で癖がすごいのですが、
とにかく、暑苦しいほどの愛情を
まっすぐに僕たちにぶつけてくれて
時には職場に連れ出して、
時にはキャンプに連れ出して、と
子連れ狼のように連れまわされたのを覚えています。
大人になってから、
離婚した生みの母に聞いたことがあるのですが
離婚時に親権を協議したときに
「この人から子供を奪ったら死んでしまうのでは?」と
母親が危惧して親権を譲るほどに、
親父は3兄弟を愛してくれていたそうです。
そんな破茶滅茶な親父を温かく見守り、
母親に飢えていた僕たちを救ってくれたのが
優しい祖母と、
そして親父の再婚相手となった今の母です。
親父とは、そんな大変な日々を
共にもがきながら生き抜いてきたので
普通の父親/息子というよりも
「共に生き抜いてきた戦友」という感情があります。
僕たち兄弟が成人してからは
3人兄弟ではなく、親父が長男の4人兄弟
みたいな感覚です。
一番非常識で、一番悪ガキで
一番愛情に溢れた人が親父でした。
僕にとっては戦友でもあり兄弟でもあり、
そして何よりも「一番驚かせたい相手」でした。
離婚時に引き取ってくれた事、
不器用ながらも一生懸命に育ててくれた事、
そして沢山の愛情をもらった事、
これらの全てに感謝を伝える方法として
僕にとって一番のメッセージは
「親父が驚くほどに、社会で活躍する事」でした。
親父の息子は立派に育ったよ
親父の愛情はきちんと伝わったよ
親父の作品は世の中に通用してるよ
そうやって自分の人生を通じて
親父の過去を肯定したい、愛情に報いたい。
僕の人生にとって
最前列の観覧席でいつも1番に応援して欲しい人
それが親父でした。
ただ、ここまでハッキリ気づいたのは
恥ずかしながら親父を失ってからでした。
親父を失ったときに
今まで経験したことがない虚無感に襲われ、
「1番のオーディエンスを失った」感覚になりました。
もう誰も見てないのに、
俺はどこまで何を頑張るんだろう、と。
でも、親父を無くしてから
毎朝、親父の分骨に祈りを捧げる日々を通じて
不思議な感覚が自分に芽生えました。
スピリチュアルな感じなのですが、
本当に近くで親父が見守っていてくれる感覚が
ハッキリとあります。
声が聞こえるような、温度が伝わるような
なんとも言えない感覚なのですが。
そうしたら、自然と親父は他界しただけではなく
「僕の心と共に生きていくんだな」
と思えるようになりました。
要するに、これからの僕の人生は
僕一人のものではなく、心の中の観客席で
親父も一緒に楽しんでくれる人生なのだと。
そう思えたら、
自然と勇気とエネルギーが湧いてきました。
よし!親父一人じゃ見れなかった景色を見せてやろう
親父が喜び驚くような経験を、共有してやろう!
二人分の人生を心に宿して生きていけるなんて
前の自分よりも、もっと楽しく
もっとエキサイティングだなと。
そして、親父という
エネルギッシュで破茶滅茶な人が
64歳という若さで他界した分、
その、やり残した人生を預かるので
親父のエネルギーを吸収した分、無敵になれるな!と
うちの親父のイメージは、
バケモノの子で出てくる「熊鉄」のイメージで、
破茶滅茶だけど愛情深いって感じで。
そして、熊鉄は最後に自らの身体を捨てて
付喪神(つくもがみ)という神に転生し、
大太刀に姿を変え、
九太の胸の中の剣となることで彼を守るのですが、
まさに親父も、今、姿を変えて
僕の胸の中に、最強の剣として宿ってくれている。
そんな感じがあります。
なので、この四十九日を持って
メソメソするのはもうやめて、
これからは親父という最強に剣を胸に、
一緒に、まだ見ぬ世界を冒険しにいきたいと思います。
LiBも創業5周年を迎えて、
経営メンバーも一新し、
まさに第二ステージの幕開けです。
これから、社会に大きな影響を発揮しにいく
勝負の拡大のフェーズなので
親父に胸をはれるような仕事を、
これからも仲間たちと実現していきます。
そして、今回の出来事で自分の中の
価値観も大きく揺さぶられました。
親父が僕にくれた愛情を
世代を超えてバトンタッチできるよう
僕も早く家族を作って、
親父の墓前に報告に行きたい、と
自然と考えるようになりました。
最後に。
山あり谷ありの人生を
共に一緒に戦い、駆け抜けてきた親父に。
一緒にここまで生き抜いてきたね。
普通の家庭だったら、
もう崩れてた苦難も沢山あったけど
誰よりも愛情深く、
家族をリードしてくれた親父のおかげで
全員が前を向ける素敵な家族ができました。
これからは、最前線の観客席で
家族みんなの人生を楽しみながら、
1番の応援団でいてください。
一番の心残りで心配であろう母のことは
親父が残してくれた僕たち3兄弟に任せてください。
親父、本当にありがとう!
遅かれ早かれ俺もそっちいくので
そのときは、また一緒に飲みましょう。
お疲れ様でした!!